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GAJOMAL Ver.18

2012/10/16 コメントはまだありません

  心に残った作品の一つに

「流しの下の骨」(amazon→*)

 と言う、何ともタイトルと内容のギャップがあり過ぎる本がある。

平たく言うと、少し変わった一家の日常を素晴らしく豊かな表現で書きあげた小説。
 
 今日、恐らく孫と祖母と祖父と思われる3人組が手を繋いで横断歩道を渡る光景を目にした。特質すべき事もない光景であるが、ボクは少し胸が痛くなる。

 流しの下に出てくる、ことちゃんでも、ソヨちゃんでも、次女は忘れた、でもない、末っ子で唯一の男の子の律。

 何回もこの小説読んでいるが、最近読んでないし今は手元にないので、不確かだがこの兄弟には子供の頃苦手だったものがそれぞれある。

 確か律が苦手だったものが、「老人」だった気がする…もしかしたらソヨか次女だったか…

ボクは小さい時には人見知りで大人が苦手だった。

 母方の実家が東京だったので、月に数回はそちらの実家に母と姉と三人で遊びに行っていた。もちろん、ボクにとってのおじいちゃんとおばあちゃんの家である。

 寡黙だが笑うと豪快で歯が無いので、子供のボクには何を言っているのか聞き取り辛いおじいちゃんと、母が年を取ったらの未来形を今思うと完璧に形成しているおばあちゃん。

 家に行っても、漫画読んだり、TV見たり、駅前で買って来たケーキを食べて、おじいちゃんはいつもシュークリームだったな。そして、夕飯の買い物を母と姉と三人で近所の商店街でして帰るというほぼ決まった一日。

 おじいちゃんとおばあちゃんと三人でどこか、近くの公園やスーパーにすら行った記憶も無いので、手を繋いだ記憶も無い。

 母方の祖父母にとってみれば唯一の男孫であるボクには一体どんな事を期待していたのだろうか?多分何かを期待したりはしてなかったと思うし、行って顔を見せあうだけでも孝行だったのだと思う。

 でも、ボクには後悔がある。

もう少し、笑っていれば、話をしていれば、どこかに出かけていれば、おじいちゃんが亡くなったあとしばらくおばあちゃんが一人で生活していた期間にもう少し足を運んでいれば…大人が苦手なボクは孫としての役割を果たせていたのか? 

 正解の無い問いをし続けても意味がないけれど、老人と子供の組み合わせを見るとたまに考えてしまう。

 失って気付くとは定石文句であるが

悪い思い出が九つあっても、一つの善い思い出があれば軽くなれる。

 悪い思いでじゃなくて、後悔だけど…上書きする事の出来ない人達との思い出は、笑顔でいたい。

というのを、去年の今日もう一個の方に書いた。あれからもう一年か。

 早いzo、月日の経過!!